生成AIをどう学習に利用するか。より具体的な議論になってきた(小寺信良)

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小寺信良

小寺信良

ライター/コラムニスト

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18年間テレビ番組制作者を務めたのち、文筆家として独立。家電から放送機器まで執筆・評論活動を行なう傍ら、子供の教育と保護者活動の合理化・IT化に取り組む。一般社団法人「インターネットユーザー協会」代表理事。

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教育界は今、生成AIの出現によって大きく動き始めようとしている。英国ではすでに教員が授業計画の作成や採点にAI技術を活用しており、機会も課題ももたらすものという認識を示した。

“ChatGPT禁止”はただの思考停止 学校は「生成AI」とちゃんと向き合うべし

日本においても、文科省がAIの取り扱い指針原案をまとめているという情報もある。夏休み前には公開したいとあるが、指針は有識者会議を経て作成されるという。だがこうした分野こそ、パブリックコメントにかけて有意義な意見を取り込むべきではないだろうか。

生成AI、テストで使用は不適切 文科省が学校活用指針案

一方で長時間労働が問題になっている教務を、AIによって効率化できないかという議論や研究も始まっている。

生成AIで教育現場の働き方改革なるか

筆者の息子は進学校と言われる公立校に通っているが、PTAの委員会で午後6時半ぐらいに学校に行くと、職員室外の廊下に置いてある長机の上で、先生が生徒達の大量のノートを前に採点していたり、勉強のために居残りしている生徒の質問に応えたりしている。ミーティングが終わった8時ごろに職員室の前を通っても明かりが消えていることはない。

九州地方特有の「朝課外」も週に3回あるので、曜日によっては朝7時ごろから働いている。生徒の将来のためとはいえ、12時間ぐらいの動労が常態化しているのでは、先生のなり手がいなくなるのは時間の問題だ。

こうした先生の過剰な労働を削減するため、公務のIT化が急務とされてきた。それでも遅々として進まなかったが、ある意味GIGAスクール構想にて強制的にIT化されることで、ようやく公務のIT化も多くの学校で可能な環境が整った。

教えることは得意でも、授業計画や部活動計画の作成などの書面作成は苦手な先生もいる。こうした苦手作業に時間が取られるわけだが、そこをAIが助手として手助けしてくれるなら、毎日1~2時間の時間短縮は見込めるだろう。

ただ、個人ごとの指導分析については、個人の成績をAIに入力する必要がある。名前や出席番号などで特定個人と紐付けをしなければ、それは個人情報ではなくなるが、元データにはそうした情報もくっついているので、コピペ操作を誤ればドカッと情報が流出する可能性もある。

文科省の取扱指針に沿って運用、という流れになるだろうが、「○○に注意せよ」みたいなものだと役に立たない。どうすれば○○に注意できるのかについて、まずは先生がAIとは何かを学ぶ必要がある。ただでさえ忙しい先生に、そこまで求める事ができるだろうか。


※この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2023年6月26日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。コンテンツを追加したnote版『小寺・西田のコラムビュッフェ』(月額980円・税込)もあります。



AIを学習に利用すると、より成績差が拡大する可能性

学習者にとっても、AIは有用なツールになり得る。例えば苦手分野に対して、演習問題を無限に出力してくれる学習ツールになり得る。だが回答の引き出し方次第で、有用にも無用にもなる。

例えば数学の問題で、自分では回答が導き出せなかった場合、AIに対して単に正解を求めるだけでは、自分の力にはならない。自分で回答にたどり着けるよう、ヒントをもらうといった使い方が必要だ。

だがそこには、AIを使う学習が「自分をトレーニングするための行為」であることの意識が持てるかが問題となる。単に出された課題に対して正解を丸写しするための利用では、形ばかりが整うだけで、本人の実力にはならない。

つまり、学習者の意識によって、成長するためのツールにもなるし、加速度的にダメになっていくツールにもなり得る。現在懸念されているのは、後者の使い方になるのではないか、というところだ。

例えば家庭学習において、宿題の回答を得るためにAIを使うというのでは、自分で解いたのか、AIの答えを丸写ししただけなのか、誰も把握できない。したがって、先生がAIを使ったのかどうかを判断する能力が求められるようになってしまう。

だがそんな能力を身につけること自体に、あまり意味がない。人間のズルをしたい、楽をしたいというモチベーションは強力であり、どんどん使い方が巧妙になっていく事が考えられるわけで、永遠のいたちごっこである。

普段の学習で不正解によるやり直しが発生しなければ、学習成果が得られない。つまり加速度的にダメになっていくというわけだ。またそうした使い方の延長には、AIがあれば自分ができるようになる必要がないと考えて、自分が学ぶことの意味を見いだせなくなるという世界が待っている。ある意味、「学習のAIクライシス」みたいなことが起こる。

例えばAIに対して、事前に回答をストレートに表示せず、ヒントや参考資料を提示するといった対応をするよう、命じることはできる。ただ現在のChatGPTのような対話型AIは、あくまでもむき出しのエンジンであるため、こうした前提も逐一入力しなければならない。

だがAPIによってアプリ化し、こうした前提での回答に囲い込むことで、学習ツールとしては有用になってくるだろう。学習者がAIを使う場合には、ナマのAIをそのまま使うのではなく、アカウント管理も含め、ある程度パッケージ化されたものを利用することになると思われる。

とはいえ、スマホアプリでもChatGPTが利用できるようでは、こうした囲い込みにも一定の限界はある。最終的にはやはり、学習者の心構え次第ということになる。

一方で、月額10万円超えといった高額な学習塾に子供を通わせる経済的体力のない家庭においては、安価な月額料金で高度な問題を無限に生成してくれるAIは、経済格差や地域格差を埋める可能性がある。

AIが活躍する時代になってもまだ人間が学習しなければならないのか、という社会構造の問題はある。だが現時点では、日々の学習によってAIに慣れ親しんだものが、社会的にも高い地位に就きやすいという、一種の競争力を持ちうるのではないかとも考えられる。

AIに負ける、AIに職を奪われるという懸念も、未だ根強い。だが実際にそれを奪いに来るのは、AIそのものではなく、「AIを使う者」である。非常に厳しい論理であることは承知しているが、1人でも多くの「AIを使う者」を増やすことが、AIありきの社会で生き残る術と言えるのではないだろうか。

▲イメージはAJ作画サービスMemeplexで生成したもの

《小寺信良》
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