初代Macintoshの基礎を作り、HyperCardを生み出したビル・アトキンソンの功績を振り返る(CloseBox)

ゲーム PC
松尾公也

テクノエッジ編集部 シニアエディター / コミュニティストラテジスト @mazzo

特集

初代Macintoshの基礎部分を作り上げたソフトウェアエンジニアの一人で写真家のビル・アトキンソンさんが6月5日(米国時間)に亡くなりました。74歳でした。Facebookに投稿された家族からのメッセージには、こうあります。

We regret to write that our beloved husband, father, and stepfather Bill Atkinson passed away on the night of Thursday, June 5th, 2025, due to pancreatic cancer. He was at home in Portola Valley in his bed, surrounded by family. We will miss him greatly, and he will be missed by many of you, too. He was a remarkable person, and the world will be forever different because he lived in it. He was fascinated by consciousness, and as he has passed on to a different level of consciousness, we wish him a journey as meaningful as the one it has been to have him in our lives. He is survived by his wife, two daughters, stepson, stepdaughter, two brothers, four sisters, and dog, Poppy.

2024年1月24日、米国のComputer History Museumで行われたMacintosh生誕40周年の座談会では元気な姿を見せていましたが、同年10月に診断された膵臓がんはすでに切除できない状態だったそうです。

▲2024年1月、Mac生誕40周年イベントに出席したビル・アトキンソン


初代MacintoshとQuickDraw、プルダウンメニュー

ソフトウェアエンジニアとしてのよく知られている功績としては、初代MacintoshのグラフィックスルーチンであるQuickDrawを開発したことが挙げられます。

フルビットマップディスプレイであるMacintoshで、グラフィカルユーザーインタフェース(GUI)を実現するためには、基本的な図形を高速で描画させる必要があります。

Macintoshの前身であるLisaの開発チームでLisaGrafという図形処理ルーチンに取り組んでいた彼は、Macintosh用にQuickDrawと改名されたプログラムでさらに改良。LisaでGUIを少しずつ改良していく様子をポラロイド写真に残しており、それを見せながら解説するという貴重な動画もあります。

Macintoshチームに移籍後、彼が開発したLisa用のウィンドウマネジャー、イベントマネジャー、メニューマネジャー、プルダウンメニューは同僚でMacチームでは先輩のアンディー・ハーツフェルドがMacに移植。その結果、アトキンソン由来のプログラムは初代MacintoshのROMのコードの3分の2近くを占めることになりました。

プルダウンメニューは彼の発明だったのですね。初代Maicntosh開発陣による当時の記録がまとめられたFolklore.orgというサイトで、ビル・アトキンソン本人がAppleでの仕事を述懐しています

To handle overlapping windows and graphics clipping, I wrote the original Lisa Window Manager. I also wrote the Lisa Event Manager and Menu Manager, and invented the pull-down menu. Andy Hertzfeld adapted these for use on the Mac, and with these and QuickDraw, my code accounted for almost two thirds of the original Macintosh ROM.

MacPaint、ツールバー、投げ縄ツール、バケツツール

初代Macintosh時代のキラーアプリの一つであるMacPaintも、アトキンソン開発によるものでした。ハーツフェルドが詳しく解説しています

Photoshopをはじめとする多くのグラフィックスアプリは、よく使う機能をツールバーと呼ばれるボックス型メニューから選択して使うようになっていますが、それを最初にやったのが、MacPaintです。それ以前はメニューバーから選択するようになっていました。図形領域の選択には、それまで使われていた四角形だけでなく、lasso(投げ縄)という、新しい仕組みも導入されました。選択したい図形の周りをアバウトにドラッグすると、その図形だけを選択できるというものです。

バケツツールもそうです。囲まれた領域をクリックするだけで、指定したパターンで埋める(この頃のMacintoshはモノクロなので色指定はできない)ことができるようになったのは、彼の発明です。

ビル・アトキンソンとアンディー・ハーツフェルドが二人でMacPaintについて語る動画も貴重なものです。

LSDから生まれたHyperCard

HyperCardといえば、1987年に発表され、しばらくの間はMacintoshに無料でバンドルされた、アトキンソンによるマルチメディアオーサリングツールです。HyperTalkという自然言語によるスクリプティングが可能で、テキストや図形をクリックすると別のカードにジャンプする、ハイパーテキストの概念をWorld Wide Web登場のはるか前に実現したツールです。

MacPaint譲りのペイント機能も備えていて、HyperCardでお絵描きをして物語を紡ぐ、ばじぃさんのようなスタック作家が多数登場しました。

▲イラストレーターのばじぃさんが1994年に作ってくれたHyperCardスタック

HyperCardはドラッグ体験から生まれたと、Folklore.orgでアトキンソンは書いています。

精神を拡張するLSDを1985年に体験したことに触発されて、私はHyperCardというオーサリングシステムを設計しました。これは、プログラミングの知識がない人でも自分自身のインタラクティブなメディアを作成できるようにするものでした。
HyperCardは、グラフィックス、テキスト、ボタン、そして別のカードへ移動するリンクを含んだ「カードの束(スタック)」というメタファーを用いていました。ダン・ウィンクラーが実装したHyperTalkというスクリプト言語は、イベントベースのプログラミングへのやさしい入門として機能しました。スティーブ・ジョブズは私にAppleを離れてNeXTに来るよう勧めましたが、私はHyperCardを完成させるためにAppleにとどまることを選びました。Appleは1987年にHyperCardをリリースしました。これは、最初のWebブラウザ「Mosaic」が登場する6年前のことです。

そのNeXTのおかげでティム・バーナーズ=リーがWorld Wide Webを考案したわけですが、もしもアトキンソンがNeXTに行っていたらどうなっていたでしょうか。

さて、LSD体験からHyperCardをどのように発想したかについては、2016年のポッドキャストでのインタビューでより具体的に語っています。

1985年、カリフォルニア州ロスガトスでLSDを服用したビル・アトキンソンは、夜空を見上げながら宇宙の広大さと生命の存在について深い啓示を受けました。無数の銀河と恒星を眺めるうちに、「生命と意識は地球に限定されたものではなく、宇宙には地球よりも進化した存在がいるかもしれない」という確信が心の底から湧いてきたのです。彼は、宇宙全体が一つの意識へと向かって進化しているという壮大なビジョンを体感し、地球上の生命もそのプロセスの一部であると感じました。この体験は、人類は決して孤独ではないという深い実感を彼にもたらしました。

その後、視線を地上に戻したアトキンソンは、街路に並ぶ街灯の光景から新たな洞察を得ました。街灯が等間隔に明るい光の輪をつくり、その間が暗闇に包まれている様子が、まるで「知識の島々」に見えたのです。詩人や科学者、芸術家など各分野の専門家たちがそれぞれに知識の光を持っているものの、互いの距離や言語の違いによって繋がらずにいるように思われました。さらに、LSDの作用で視界が歪み、地平線のカーブが強調されて見えたとき、彼は「人類一人ひとりが地球という球体の頂点に立っている」と感じました。そして、すべての人間が“青い惑星”チームのリーダーのように、地球に対して責任と影響力を持つ存在だと実感したのです。

この深い幻視体験の中で、アトキンソンは「自分には一体何ができるだろうか?」と自問しました。そして、フットボールチームのキャプテンになった自分を想像し、チームを再建するにはまず「最も弱い部分(weak link)に注目して強化するべきだ」と考えました。地球というチームにおける弱点とは何かを考えた結果、彼は「知恵(wisdom)の欠如」という結論にたどり着きました。人類は科学技術の発展により、地球環境や生命の未来を左右するほどの力を持つようになりましたが、その力をどう使うかという判断力、つまり倫理観や俯瞰的な視野に基づいた知恵が不足していると感じたのです。この気づきは、彼の中に深く刻まれ、のちにHyperCardという「知識を繋ぐための道具」を設計する出発点となりました。

General Magicという、iPhoneとAndroidのインキュベーター

筆者がビル・アトキンソンを目の前で見たのは2回。最初のは1989年か90年ごろ、ビル・アトキンソンの来日記者会見に参加しました。なぜ来日していたのかは記憶にないのですが……。ジャーナリストの富田倫生さんが、AppleのHyperCardについての姿勢についてどう思うかという質問をしたのは覚えています。

当時のAppleはHyperCardのフル機能でのバンドルをやめ、自分でスタックを作れないLiteバージョンしか提供していなかったため、それについてどう思うか、という内容だったかと思います。magicという隠しコマンドを入れることで制限が解除されるのですが。それに対する回答は、バンドルされていることには感謝している、みたいなものだったような、これもあやふやな記憶です。

次にその姿を見たのは、Macworld Expoで初代Macintosh開発チームのリユニオン座談会があったとき。この時はビル・アトキンソンとアンディー・ハーツフェルドはともにGeneral Magicの人でした。

General Magicの魔法は花開きませんでしたが、ビル・アトキンソンが関わったタッチインタフェースは、同社で若手エンジニアとして在籍していた、iPodとiPhone開発のキーパースンであるトニー・ファデル、Androidの生みの親であるアンディー・ルービンに影響を与えたとされています。


彼の創造物の中でも特に多くのクリエイターを生んできたHyperCardですが、今のMac上では動きません。

1994年の筆者の家庭を描いたHyperCardスタックも古いMacのエミュレータを使わないと見ることもできません。

一部のスタックは、Internet Archive HyperCard Stacksで、ブラウザ上のエミュレータを使って再生できます。

《松尾公也》

松尾公也

テクノエッジ編集部 シニアエディター / コミュニティストラテジスト @mazzo

特集

BECOME A MEMBER

『テクノエッジ アルファ』会員募集中

最新テック・ガジェット情報コミュニティ『テクノエッジ アルファ』を開設しました。会員専用Discrodサーバ参加権やイベント招待、会員限定コンテンツなど特典多数です。